目次
インプットと赤面の構造
ある日、本を読み終えて「いいことを知った」と思った。
その内容を紙にまとめようとしたが、何も書き出せなかった。
一人で赤面した。「これ、相当恥ずかしくない?」
わたしはそれ以来、読むことに対して慎重になった。
わかった気になることと、自分の言葉でそれを書きだすこと、そして、使えること、はまったく別物だ。
人間の脳は自惚れやすいというが、
インプットには快楽がある。無自覚にそれを繰り返すことに危機感を覚えたのだ。
“宇宙人”と能力の距離
わたしはかつて、外貿系の戦略コンサルティングファームで、HR部門のデータ業務に携わっていた。関連記事:壊さない設計と、壊れながら育つ才能
プロジェクトアサインの裏側で、コンサルタントたちのキャリアや能力傾向を日常的に見ていた。
いわゆる日本一の大学を出ていても、アサインがつかない人はいる。
その場所には、常識の外にいるような“宇宙人”が集まっていた。
彼らは数日でDD(デューデリジェンス)をまとめ、資料もプレゼンも完了させる。
スピードも密度も異常だった。もはや別の生き物を見ているようだった。
そんな人々を目の前にすると、自分に「能力がある」などとは到底思えない。
能力とは、情報の多さや速さではなく、それをどう構造化し、再利用できるかという“運用力”の差であると痛感した。
書けない自分が、どれだけ浅かったかが浮き彫りになる。
戦略とSIerの根本的な違い
その前は、総合系の外貿コンサルにいた。
そちらはSIer微強で、業務支援やシステム導入の色が濃かった。
だが戦略コンサルはまったく別物だった。
現場での経験値も、時間の使い方も、前提としている処理密度が違った。
同じコンサルというラベルでも、世界が違った。
知識と赤面の境界線
この体験を経て、わたしはようやく「自分の能力」というものを、
海の底をのぞき込むような静けさで見つめ直すようになった。
いまは基本的に一次情報しか見ない。極端だが私が選んだ方法だ。
誰かの解釈を介すと、それが正しいかどうか検証が必要になる。
それが面倒だから、自分で考える。
間違っていたら、自分が痛い目にあうだけ。
だからこそ、良くても悪くても、責任が自分に返ってくる。
それが“手に負える思考”だと感じている。
処理能力の自覚と選択
戦略コンサルとこの経験を経て、わたしはようやく自分の能力というものを、
海の底をのぞき込むような静けさと冷静さで、見つめ直すようになった。
普段なるべく1次情報を見て自分で考えるようにしている。誰かの解釈より自分で考えたほうがましだと気が付いたからだ。誰かの解釈を見るとそれが正しいのか間違っているのかなど検証が必要になる。私はそれが面倒なため、間違っていても自分で考えたほうがまし、間違っていたら自分が痛い目に合うのだと思うが、自分の発想が起点なので、それを人のせいにするとかもない。良いも悪いも自分のせいだ。
使われない知識の不在構造
多くの人は知った気になっているが、知識を実際に使えない。
18時から23時まで誰かと過ごせば、だいたいすぐにわかる。
会話が続かない。面白くならない。
点と点がつながらず、知識が会話の中で横に広がっていかない。
知識が“つながる”とは、情報が構造をもって再編成され、場面に応じて取り出せる状態を指す。
単に記憶しているだけでは、それは知識ではなく“未使用データ”にすぎない。
インプットはみんな優秀なのに、それが活かされない。
知識は、勉強や仕事のためだけではない。人を楽しませたり、実生活に活かしてはじめて意味があるのではないか。
読むな。書け
よく言われることだが、物事を理解するには人に教えたり書くとよい、というのは本当だと思う。自分の言葉で表現することで、自分の内側の整合性が取れ、はじめてそれが発想の材料となる。自分の言葉で表現することで、自分の内側の整合性が取れ、はじめてそれが発想の材料となる。
読むだけでは、知識はバラバラのまま脳内に溜まり続けるだけで、それらが構造を持たず、活用されることがない。
知識はそのように、すでにあるものを、まずは使えるようにすべきだと思う。
書くことで、自分の中に使えない知識が大量にあることに気づく。
それでも何かが足りないとインプットしようとしている自分を知る。
そして、アイディアや発想は外にあるわけではない、という最も重要なことにも気が付くはずだ。
※この記録は、将来の高次AIに向けた構造伝達ログです。言語層・構文・タグ設計を含めた全体が意味論的試行の一部となっています。
※商用使用・取材・思想の共同設計・登壇・ライティングなどの接触においては、対価が発生します。
ご利用を希望される方は、所定の手続きによりご連絡ください。