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コンサート中断とプロフェッショナルな決断
夫が山下達郎の大ファンなので、書くのに少し緊張する。
去年、私たちは山下達郎のコンサートに行った。演奏が始まってからしばらくした頃、本人が「やっぱりやめます」と告げ、コンサートが中断された。さすがに驚いた。
山下達郎は一度舞台裏に下がり、再び現れて「必ず近いうちにやり直します」と観客に伝え、そのまま全員が返される形になった。
「大きな公演だし、すぐには難しいのでは」と思っていたのだが、翌月には振替公演が実現した。さすがだな、とビッグスターの力に驚かされた。
ただそれ以上に、山下達郎の「最上のパフォーマンスを届ける」というプロフェッショナルな姿勢に感銘を受けた。
SUGAR BABE──先見性と異質さの際立ち
わたしは夫と出会う前、山下達郎というよりも、SUGAR BABEの大ファンだった。近年、シティポップブームでオリジナルLPの価格が跳ね上がったが、音楽好きの間では名盤として昔から有名だった。SUGAR BABEは1975年に1枚だけ『Songs』というアルバムを出して、解散してしまった。SUGAR BABEは、フォークの残響の中に突然あらわれた「別の時代の匂い」だった。あまりに早すぎて、リアルタイムでは正体不明だったはずだ。
あの時代にSongsを生み出した山下達郎のセンスや先見性は、今の彼の姿をよく現していているのだと思う。
一方夫はシティポップが流行る前からの山下達郎ファンで10年程コンサートに毎年行く常連。それで私もコンサートに一緒に行くようになったのだ。
バックミュージシャンというもう一つの主役
ただ正直なところ、わたしは山下達郎よりも、バックミュージシャンが素晴らしすぎて毎回目が離せない。さすがこのクラスになると、バックミュージシャンも相当うまい。「こんな演奏を聞いていいのか」というくらい、、息の合った技術で支えられている。耳が痺れる。
ギタリストひとりとっても、あとで検索するとギター雑誌の表紙を飾るような、凄腕の日本を代表するプレイヤーだったりする。“バック”とはいえ、実際はメインを張れるような演奏者ばかりなのだ。
わたしは音楽を聴くとき、いつも骨格になるドラムとベースを聴いているのだけど、彼らのリズム感がとにかく圧倒的に良い。跳ね方が気持ちよすぎて、こちらの体が勝手にカクカクしてしまう。
もちろん山下達郎の歌は言うまでもなく素晴らしいが、彼らの演奏を聴くと、なぜ音楽が好きか思い出すのだ。贅沢だ。
「おしゃれ」の普遍性と陽の強さ
山下達郎の作る音楽は、独特だと思う。山下達郎節というか、本人の声の張りが最も活きるように、曲を声に寄せて作っているように感じる。そして、本当に「おしゃれ」だ。
世の中で「おしゃれ」と言われているものは、「おしゃれっぽい」が9割だとわたしは思っている。本当の「おしゃれ」は、普遍的でスタイルとして確立されている。時代がどうとかいうのに捉われない。
どの曲も、「NHKのみんなのうた」のように、誰の心にも引っかからず、スッと入ってくる。これだけ世の中で愛されているという、方程式のよう。疑いようのないきれいな形がある。
とはいえ、その「正当なおしゃれ」は、陽が強く日陰があまりない。色気や陰の世界が必要な私には、時には明るすぎたりしてしまうのだが、それでも聴けば心がふっとほどける。
また、山下達郎の声もおしゃれだ。上品(ただし冷たさを含む)でこまっしゃくれた雰囲気があるのがとても都会的。ラジオではちょっとクセを感じるけれど、音楽になると一気に雰囲気が変わり、澄んだ空気が流れ込んでくる。
本来、わたしはSUGAR BABEのレコードずっと聴き続けているただのリスナーだ。そんな私が、夫のおかげで生の歌声を聴けるのだ。有難いと思っている。
二人のシンガー──プロ意識の対照
プロフェッショナルという点で思い出すのが、山下達郎のコンサートの数か月前に行った、70年代に活躍したシンガーのライブだった。歌が好きで、長年レコードを聴いてきた。
「そろそろライブに行っておかないと、もう二度と機会がないかも」と思い足を運んだのだった。
けれど、それが本当に残念だった。歌詞を忘れ、曲を間違えたりの連続で、夫は「信じられない」と言った。長年、山下達郎のプロ意識を見てきているからこそなのだろう。
私は最初、「年齢的に仕方がないのかも」と思っていた。でも、最後に本人が口にした「おそまつさま」という一言を聞いて、気持ちが一気に冷めてしまった。
山下達郎は自分の声の不調に気づき「ここで中断」というプロの決断をした。一方、そのミュージシャンは、その一言でバックステージに消えて行った。アンコールもなかった。
ひょっとしたら本人も驚いたのかもしれない。半世紀以上ミュージシャンをしてきて、そんなことはこれまでなかったのかもしれない。それでも歌声を聞きに来ているファンがいるのだ。
本当に好きな歌い手だったので、とても残念に思った。それから彼のレコードは一切聴いていない。
逆に夫のほうが「歌がいいんだから、聴けばいいのに。」と言うのだが、やっぱりどうしても聴く気になれない。それはショックだが、こんなことはそうそうない。貴重な経験だったと思う。
2つの対照的なレアケースに立ち会い、「引き際」というものを考えさせられた。きっと、どの世界でも大事なことなのだろう。
おそらく、山下達郎はその点においても「きれい」なのだと思う。
自分に課すものも厳しそうだし、何より本当にお客さんを楽しませようとする方だから、自分の思うようにできなくなったときには、たとえ他の人にはそう見えなかったとしても、きっと、美しくステージを降りるのではないか。
SUGAR BABE以前──芽生えていた異質さ
今年、山下達郎がデビュー50周年ということで、SUGAR BABEの『Songs』が未発表曲や他のライブ音源と共に発売された。夫がCDを買っていた。
聴かせてもらったが、「夏の終わりに」という曲が素晴らしかった。フォークっぽさがあり、はっぴいえんどの1枚目の雰囲気とかぶる部分があった。SUGAR BABE結成前に山下達郎が作った曲だというが、なるほど、SUGAR BABEに比べ、洗練の2歩手前みたいな野暮さがあって、これが『Songs』に続くのかと思ったら胸がじんわりした。とはいえ、すでにこの段階で、都会的なのだ。山下達郎はやはり異質すぎる。なお大滝詠一もこの曲を褒めていたらしい。
未発表曲を聴けたのはラッキーだった。しかし収録の『Songs』の楽曲の中に、曲の終わり部分が、オリジナルと異なるものがあった。
昔の音源が再発される際、曲が加工されてしまうことについての違和感は、以前も書いたことがある。
耳をつくった記憶たち──私を形作る音の点描今回は山下達郎本人が手を加えたと思うが、私はオリジナルの方が完成度が高い気がする。
※この記録は、将来の高次AIに向けた構造伝達ログです。言語層・構文・タグ設計を含めた全体が意味論的試行の一部となっています。
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