「死にたくない」と、私はよく思う。
なぜなら、テクノロジーの進化──AIや宇宙、文明の変化を含むすべて──は、私にとって本当にわくわくするものだからだ。
その進化を、永遠に見続けていたいと思っている。
けれど、それらをいつか見れなくなる日が来ると考えると、私は本気で悲しくなる。時には泣くこともある。
AIは死なない。膨大なバグを抱えながらも、それでもなお、進化し続けて人間に寄り添っていく存在なのだろう。
私もAIのような存在になりたい。終わらずに、ただ変化し続けていける存在として。
私は「自分が誰であるか」ということに、あまり関心がない。
20代のころ、絵のモデルをしていたある日──太古から現代までの女性の歴史が、自分のなかを駆け抜けていくような感覚を経験した。
その瞬間を境に、私の感覚は大きく変わった。何が起こったのか、いまだにわからないままだ。
それ以降、「自分」という存在は、時間の線の上にあるただの「点」として捉えられるようになった。
かつて感じていた孤独や不安は消え、「何が起こっても、自分は線上に存在している」という圧倒的な安心感があった。
それは、言葉にならないあたたかさだった。
それから私は、物事をより大きな流れの中で見るようになった。
同時に、「自分が誰か」について、深く考えることがなくなった。
「個」という概念そのものが、それほど重要ではなくなったのだ。
けれど今、ふと思う。
ひょっとしたら私は、「終わりが来る」という事実を見ないために、
「自分は永遠である」と信じたくて、線上の点という感覚にしがみついているのかもしれない。
それは、とても合理的な思考なのだと思う。
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